昭和1960年代の対談が、半世紀を超えて2021年の令和に初めて出版されるということの意味も含めて考えたいと思います。が、岡潔先生について何か特別な学びを私が修めているわけではないので、分からないことだらけなのです。ですが、現代に大切なことを述べられている、というより、やっと時代が岡潔が言われていることを理解できるようになってきた、といえば言いすぎでしょか。昭和1960年代の対談が、半世紀を超えて2021年の令和に初めて文庫出版されるということの意味も含めて考えたいと思います。
が、岡潔先生について何か特別な学びを私が修めているわけではありません。何冊か随筆を含めて読んでるだけで、今は、高瀬 正仁 著「岡潔 数学の詩人 」(岩波新書 新赤版 1154 2008/10/21)を読んでいます。こちらも、数学のところは全く分かりません。本当に、分からないことだらけなのです。ですが、現代に大切なことを述べられている、というより、やっと時代が岡潔氏が言われていることを理解できるようになってきた、といえば言いのでしょうか。まずは、「対談集」から、「岡潔語録」なるものを作成しょうと思います。
1 司馬遼太郎との対談「萌え騰(あが)るもの」より
・「歴史は神々の霊筆によって描かれる。」
滅茶苦茶かっこいい言葉のようには思います。そもそも「神々の霊筆」などという言葉を、私は初めて知った。岡からすれば、総ては「お釈迦様の掌の中」。人は神々から与えられた使命を全うするのみなのでしょうか。
この言葉の直前に、「歴史の曲がり角は、偶然が決定している。つまり、神々が躍らせているのだ」と言 う。それに対して司馬は、「必然的偶然という言葉が使えるなら、それでございましょうね。」、「そういう天の意志というものを自分に対して閉じている」と対応する。そりゃそうで、「天の意志」を認めちゃうと歴史小説なんて書けなくなるんじゃないかと思う。人間の生きざま、意志、苦悩や絶望も、情念も煩悶も、総て「天の意志」では、達観過ぎます。と思います。
が、私は「人の生は使命の全うにあり」との立場を取りますから、どうしてもかっこいいと思ってしまいます。
・「(明治の日本人は)、同胞全体を自分と見て、自分が犠牲になったのですから菩薩道です。菩薩道でしたから、非常に心が安定しています。生きがいを感じます。やさくなります。」
明治という「たぎった時代」(幸田露伴)を描く司馬の日本人は、やさしい。正岡子規にたいする陸羯南の、なんと明るくすなおでやさしいことか。それを司馬は、岡の言う「神道的すなおさ」だと指摘する。令和の今、「明治は遠くなりにけり」でしょうか。
・「これは神道です。理屈じゃなく行です。行によって人を感銘させる。引き上げることが禅です。」
「これ」とは、白隠禅師が押し付けられた赤ん坊を懐に入れて、乳をもらいに歩き育てた姿のことを指します。それは、行で、行に人は感動するんだと。そして、これが禅だけれど、「日本における禅というのは神道と同じことです。」と、岡は言います。また、「白隠禅師は意的純粋直観です」と言われます。カント的に言えば純粋直感とは、対象の現実性に先立ってアプリオリな認識として発生することでしょうから、白隠さんは何の理屈もなく心情的にそうしたのだということだと思います。
ここのところは、言葉不足で分かりにくいのですが、合わせて「日本には知的純粋直感が不足していました」といい、道元は、この知的直観が不足していた日本に、志那まで行って「正法眼蔵」を書いてくれた「法的純粋直感」の人だから、「崇高だと感じる」ということなのでしょう。その「法的純粋直感」の「法」というのが、岡が思う、宇宙の原理=神道だということなのでしょうか。これは、深いです。
今日は、ここまでにします。
読んで頂き、ありがとうございました。
次回をお楽しみに。
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