同窓会の「信芳会」の件、ご返事ありがとう。他の1期生にもあたってみるよ。
ひとまず、元気で学生生活を楽しんでいるようで、安心しました。
また、カントと九鬼周造を読んでいると聞いていたので、その成果のほどを尋ねたのだけれど、今は、井筒俊彦に凝っているとのこと。私も、大学時代、「構造と力」から「意識と本質」に芋蔓ったのを懐かしく思い出しました。
でも、このメールは、そのことに深入りするのではありません。
それはそれで、君と話す内容としては興味が尽きないのですが、それは、また、東京か京都で会った時に、ゆっくりとやりましょう。
では、このメールの主旨は何かと言いますと、机の上に読まれないまま積読されていた本をぺらぺらとめくりながら、君からのラインを読んでたら、何と、シンクロ(既に、ユング!)、その本の中に、井筒俊彦氏への追悼文と氏との対談が載っているではありませんか!ってこと。
それが、司馬遼太郎「十六の話 (中央文庫 1997/1/18刊)
そう、今日は、この本の紹介と、パラパラめくっていて気付いたことを君に聞きたいのだ。も少し付き合ってほしい。
最近でもないのだけれど、どうも、「無意識」に取りつかれている。それを「潜在意識」といいけてもいいと思うのだけれど、その辺はどうだろう。井筒氏なら、「阿頼耶識」。または、「意識のゼロ・ポイント」? そうなると、ユングの守備範囲。または、スピリチュアル系の方々の独断場。
この辺りのことなんだけど、現代の哲学界、心理学界では、どうなのだろう。何年か前に読んだ「みすず」では、どこかの心理学者が、「ユングは、自身のオカルティズムを科学の衣を着て語る似非学者だ。もう学問界からは完全に追放された」と言っていたのを、思い出す。その真偽はどうか分からないが、私には、現在のスピリチュアルだの癒しだの、レムニア、アトランティス、アセンション、シリウス宇宙船だの、だのだのと、潜在意識が成功、出世、お金を呼ぶ最高のツールだという「思考が現実化する」ことが、面白くて仕方がないのだ。「感謝が感謝を呼ぶ」もそう、「人間は想念次第」もそう。瞑想も、祈りも、アフォメーションも。
そこいら辺の絡み具合が、知りたいのだ。
今の大学、哲学科の中で、こういったことは、どう扱われているの?
魂、霊、霊界と言い換えてもいい。それらと、サブリミナル・マインド。
以上、思うところをメールして。
私も、も少しまとまった形で問いかけていきたいから。
「世界は問いかけに応じてしか答えてくれない」と言ったのは、ニーチェ?、ハイデガー?
じゃあ、また。よろしく。
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