いったいどこからどこまで話せばいいの、自分でもわからないくらいの大風呂敷。要は、知が二つに切り離されてしまっていたのが、やっと融合される時が来たという喜びと、切り離されているということに気が付かずに一方的な知に縋り付いて、もう一方の知のことを無視していた方々との乖離の深さへの戸惑い。
1980年代に、ニュー・アカデミズムが登場して、それまでの象牙の塔的知の体系に対して、若者が中心となって、それらの知を現実の実生活の場に引き摺り降ろすと同時に、自分たちの現実生活からの知(漫画、アニメ、歌謡曲、怪獣映画、フォークソングなど)を、アカデミックの場に引き上げようとしたことと、今から述べようとすることが、同じ位相にある様にも思えるのです。
つまり、アカデミックな王道知と現実生活を這いずり廻る邪道知?。
実際、こんなことを考えている御仁達たくさんいらっしゃって、そのことに関してもいろいろとお書きになってもおられると思うのですが、私の実生活と私の知の周りについて、少し、まとめてみたいと思うのです。
また、詳しくはnoteに譲ろうかと思いますが、今少し、スケッチしておきます。
では、順番に。
1 「図書・みすず」知と「ムー・アネモネ」知について
ともに、アカデミックな知の代表ということで、揚げさせて頂きました。言わずと知れた「図書」 は岩波書店のPR誌、「みすず」は、みすず書房のそれ。
私は、高校1年生の国語の授業で東大出の国語の先生が「図書」を紹介され、その影響で、本屋さんに行ってただでもらうようになりました。(この先生には、多大な影響を受けましたので、また、ご紹介させて頂きます。)裏表紙には30円と書かれていたと思いますが、50年前はただで本屋さんのカウンターでもらえました。思えばいい時代でした。
「みすず」の方は、このグログにも書きましたが、出会ってから40年、一年も欠かさずにこの号だけ買い続けました。そして、ここで問題にしたいのは、この「みすず」の「読者アンケート」(以前は1,2月合併号、今は、独立して販売されています。「読書アンケート 2024――識者が選んだ、この一年の本 」)の内容です。
結論を先に言えば、「ムー」や「アネモネ」に出てくる、私も2018年ころから愛読している方々のお名前や書物は、一切、全く、爪の垢ほども出てもない、ということです。これには、本当に驚きです。意図的に排除しているとは思いませんが、アンケートに答えられた日本を代表するアカデミック界、芸術界などの先生方が、全く、言わゆるスピリチュアル系の方々の本を読んでないとも思えないのです。それが、全く、影も形も「みすず」には、出てこない。
今、「スピリチュアル系の方々の本」と書きましたが、私がよく読んでいる方々は、敬称略で、保江邦夫、松久正、矢作直樹、並木良和、はせくらみゆき、高野誠鮮、矢追純一、浅川嘉富、江原 啓之、ジョゼフ・マーフィー、マシュー君、などなど。
とても私は影響され続けていますが、全く出てこない。保江邦夫先生などは、量子力学におけるシュレディンガー方程式と並び称される「ヤスエ方程式」の発見者で、日本を代表する理論物理学者さんでありながら、完全無視?
この方々が言われている、知は、学問ではない、アカデミックではないかもしれないけれど、多くの方々の生を充実させたことは、間違いないと思うのです。その点でいえば、宗教的ですが、既成宗教については、「みすず」にも、キリスト教、神道、仏教、イスラム教など、たくさんの宗教家の方々のご本や活動が紹介されています。なのに!
で、このような扱いが、「渡部昇一氏と大島淳一氏」を生んだ、ということでしょうか?
アカデミックな「知的生活」の著者「渡辺昇一」と、スピリチュアルな「潜在意識」ジョゼフ・マーフィーの翻訳者「大島淳一」の使い分け。私にとっては恐ろしいことに思えるのですが、「渡辺昇一」の本には、全く、マーフィー氏は登場しません。それは、近年刊の「新・知的生活の方法 知の井戸を掘る」においてもです。ただ、CD「「運」を高める」では、語られておられるのでしょうか。私は、確認できていませんが、アマゾンの紹介分には、幸田露伴、松下幸之助は出てきても、マーフィーの名もジェームス・アレンの名もありません。これは、どういうお心なのでしょうか。
もう少し、noteで追ってみます。興味ある方は、近日中には一応まとめますので、そちらをお読みいただけたら幸いです。
コメント