「貴族度と奴隷度」という概念自体が間違いなのだろうか? 時は正午、神々の行進が始まる!

信仰三昧

ニーチェのいう「高貴な人間と卑賤な人間」。
全くの別の種類、種族?とは言わないまでも、それぞれの度合いが、その人を決定付けているというのは、間違いなのだろうか?
だから、その一人の中に宿る「貴族度と奴隷度」。その人が出れだけ貴族的で、どれだけ奴隷的か。
しかし、今の日本で、みんな資本主義に侵されて、唯物主義、拝金主義、官僚的な日常生活の中、貴族的であることは、難しい?
みんな、お金の、上司の、役人の、法律の、道徳の、規範の、宗教団体の、奴隷になってしまっているそう、社会で、貴族的であることは、アナーキー(無政府主義)的でなければいけないのかとも、思われて。(参考:森元斎「ただ生きるアナキズム」
ホント、ひと握りの富裕層以外みんながみんな奴隷に成っても、みんながみんな貴族には成れない?
いえ、これから来る地上天国=理想郷は、そんな階層の差別などなく、みんながみんな自分の心に正直で、みんながみんな自分の心の中の神様を高く掲げ、お互いの神様を信頼し、尊敬し合って、楽しく豊かに生きていける世界ではないでしょうか?
そう、みんながみんな、貴族的に生を謳歌する。
時は正午、神々の行進が始まる!

また、この「高貴と卑賤」というテーマでいえば、スピリチュアルの古典、ジェームス・アレン氏の「原因と結果の法則」の中にも、この対比が書かれていますので、紹介します。

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